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2006.09.25
「自分自身からの解放」

鎌倉に続き、青山でのライブ。
正直、僕自身はいろいろバタバタしていて
地に足が着いていない感じもやや有り、
落ち着きに欠けていたところもあったと思うけど、
サポートのメンバーの演奏がいつになく素晴らしく、
気づけば歌の世界に完全に没頭している自分を発見。
結果として、鎌倉の時以上に忘れがたいステージとなった。

 

鎌倉の時は、ソロライブとしては8年振りということもあり、
ファンのみんなとの再会、
あるいはいろんな意味での再確認ということが
ひとつの大きな柱というか目的だったと思う。
それが果たせて、いよいよ青山。
その次にやるべきことは何か?
もう単なる同窓会というわけにはいかなかった。

 

悩みに悩み、
セットリストもギリギリまで決められず、
全体のシナリオが未完成のままステージへ。
頭の中でドラマが描けていないわけだからMCも上の空。
自分がどこに向かって進んでいるのかわからないわけだから、 何をしゃべっていてもまるで実感がない。
けれども、演奏をしている瞬間、
歌を歌っている瞬間だけは「無」になれた。
ドラマ作りのためのシナリオは出来ていなかったが、
自分が音楽に没頭出来る選曲だけはしっかり作っていたのだ。
そのことに気づかせてくれたのが、
サポートのメンバーの柔軟で高度な演奏力だった。
本来はベーシストであるはずの僕の拙いギターでさえも、
優しく包み込んでしまう懐の大きなグルーブ。
リハーサルの時間も短く、
曲によっては2回しか合わせていないモノもあったはずなのに。
百戦錬磨のセッションマンの底力に嫉妬し、そして感動した。 そこから先は、まさに噛み締めるように、
1曲1曲を深く味わいながら演奏に没頭した。

 

結果として、終わってみて初めて実感として気づいたことだが、 今回の青山のライブでの目的、
それは「軌道修正」を学ぶために必要な、
重要な「通過点」だったのではないかということ。
ここまで築いてきた世界を守るのではなく、
ミュージシャンとして、もっと広い次元を目指すための
試練だったのではないかということ。

 

今の自分が欲しているもの、
それは、自分自身からの解放。
青山でのライブが、それを教えてくれました。

 

20060925

鎌倉に続き、青山でのライブ。
正直、僕自身はいろいろバタバタしていて
地に足が着いていない感じもやや有り、
落ち着きに欠けていたところもあったと思うけど、
サポートのメンバーの演奏がいつになく素晴らしく、
気づけば歌の世界に完全に没頭している自分を発見。
結果として、鎌倉の時以上に忘れがたいステージとなった。

 

鎌倉の時は、ソロライブとしては8年振りということもあり、
ファンのみんなとの再会、
あるいはいろんな意味での再確認ということが
ひとつの大きな柱というか目的だったと思う。
それが果たせて、いよいよ青山。
その次にやるべきことは何か?
もう単なる同窓会というわけにはいかなかった。

 

悩みに悩み、
セットリストもギリギリまで決められず、
全体のシナリオが未完成のままステージへ。
頭の中でドラマが描けていないわけだからMCも上の空。
自分がどこに向かって進んでいるのかわからないわけだから、 何をしゃべっていてもまるで実感がない。
けれども、演奏をしている瞬間、
歌を歌っている瞬間だけは「無」になれた。
ドラマ作りのためのシナリオは出来ていなかったが、
自分が音楽に没頭出来る選曲だけはしっかり作っていたのだ。
そのことに気づかせてくれたのが、
サポートのメンバーの柔軟で高度な演奏力だった。
本来はベーシストであるはずの僕の拙いギターでさえも、
優しく包み込んでしまう懐の大きなグルーブ。
リハーサルの時間も短く、
曲によっては2回しか合わせていないモノもあったはずなのに。
百戦錬磨のセッションマンの底力に嫉妬し、そして感動した。 そこから先は、まさに噛み締めるように、
1曲1曲を深く味わいながら演奏に没頭した。

 

結果として、終わってみて初めて実感として気づいたことだが、 今回の青山のライブでの目的、
それは「軌道修正」を学ぶために必要な、
重要な「通過点」だったのではないかということ。
ここまで築いてきた世界を守るのではなく、
ミュージシャンとして、もっと広い次元を目指すための
試練だったのではないかということ。

 

今の自分が欲しているもの、
それは、自分自身からの解放。
青山でのライブが、それを教えてくれました。

 

20060925