松井常松 Official WebSite.

松井常松

1980年

織田哲郎&9th IMAGEにベーシストとして参加。
9月5日、シングル「スパーキング・ラヴ -胸につのる想い-」リリース(キャニオン)
9月21日、アルバム「DAY and NIGHT」リリース(キャニオン)

1981年

BOΦWYのベーシストとしてライブ活動を開始

1982年

1stアルバム「モラル」(ビクター インビテーション レーベル)を発売。

1983年

2ndアルバム「インスタント・ラブ」(徳間ジャパン)を発売。

1985年

レコーディングの為西ベルリンへ 3月にロンドンのマーキークラブでのライブで成功をおさめ帰国。その後、東芝EMI移籍第一弾 3rdアルバム「BOφWY」を引っ提げ全国ツアーを展開。

1986年

3月 4thアルバム「JUST A HERO」を発売。11月、5thアルバム「BEAT EMOTION」は チャート紙の初登場1位を記録。 全国大ホールでのライブの成功とBOφWYは名実とともに NO.1ロックバンドの地位を確立。

1987年

最後のオリジナルアルバム「PSYCHOPATH」を発売。80万枚という記録を残すが、12月24日ツアー最終日に解散を発表。

1988年

4月4日、5日、東京ドームにてLAST GIGを行い、11万人を動員する。
8月、山下久美子のコンサートツアーに参加。
10月、布袋寅泰の「GUITARHYTHM」ライブに参加する。
11月、松井ソロプロジェクトをスタート。ベルギーのベルカントのボーカリスト アネリー・マリアン・ドレッカーをフィーチャーしてアルバムを制作。

1989年

10月25日、佐久間正英プロデュースによる1stアルバム「よろこびのうた」発売。同時にヨーロッパ各地でも注目を浴び、 11月15日、クラムド・ディスクからベルギー、オランダ、ルクセンブルク、フランスで発売される。

1990年

6月、花田裕之のコンサートツアーに参加。
7月より2ndアルバムのプロジェクトをスタートさせる。

1991年

8月30日、2ndアルバム「SONG OF JOY’」発売。
Co-プロデューサーにマドンナ等のエンジニアとして知られるGOH HOTODA氏を迎え制作。

1992年

10月22日、3rdアルバム「月下氷人」発売。
初の松井自身のボーカルを中心とし、より確立された松井ワールドを展開。またジャケットヴィジュアルに横尾忠則氏を迎える。

1993年

10月20日、4thアルバム「あの頃僕らは」発売。プロデューサーに藤井丈司、作詞に山下久美子、森雪之丞ほか、ギターに布袋寅泰など多数のゲストを迎え制作。
松井常松、初のソロライブ「Delirious moon」 を名古屋クラブダイヤモンド、大阪厚生年金会館、さらにあの12月24日BOφWY以来のステージになる渋谷公会堂にてフロントに立つ。
12月20日ソニーマガジンズより、初の単行本「あの頃僕らは」を出版。

1994年

10月19日、5thアルバム「GLACIER」を発売。
再びプロデューサーに藤井丈司を迎え、 布袋寅泰、ホッピー神山等のゲストが集結しレコーディング。
9月26日発売、氷室京介のアルバム「SHAKE THE FAKE」のレコーディングに参加。
12月、TOUR「GLACIER」を東京、大阪、名古屋にて行う。

1995年

10月18日「DEEP SKY」発売。プロデューサーに小原礼を迎え、コンピュータープログラマーにBOφWY以来となる松武秀樹、高橋幸宏、布袋寅泰、山本恭司等多彩なゲストを迎えキャリアそしてテクノロジーを駆使したコンセプトアルバム完成。
11月よりクラブサーキットによる全国ツアー「 BLACK AND WHITE」を行う。

1996年

9月4日、尾崎亜美の書き下ろしによるマキシシングル「SHADOW OF THEMOON」発売。
10月9日、アルバム「HEAVEN」発売。小原礼とのコラボレイトによる二枚目の作品。
10月12日、「TOUR 1996 DNA」がスタート。全国7ケ所を回る。
11月、REMIXアルバム発売。

1997年

IRc2 スタジオにて初のセルフプロデュースによるアルバムのレコーディングをスタートする。

1998年

5月27日、ソロプロジェクトがスタートし10年、BOOWYをリスペクトし、よりオリジナルなスタイル、ビート、ヴォイスを表現した待望のニューアルバム「Bye Bye EXTREMER」を発売。
作詞では松井五郎との初のコラボレイト、バグルスの名曲「ラジオスターの悲劇」のカバーも収録。
JILL(PERSONZ)吉川晃司等もゲスト参加。久し振りのツアーも6月に行われた。

2002年

布袋寅泰「HOTEI ROCK THE FUTURE 2002 “SCORPIO RISING TOUR”」に参加。

2003年

布袋寅泰「DOBERMAN TOUR」に参加。
9月25日、布袋寅泰プロデュースによるソロプロジェクト”GROOVE SYNDICATE”名義によるアルバム「1」をリリース。メンバーは、松井、布袋のほか、岸利至、オオエタツヤ(OE/Captain Funk)
布袋寅泰「HOTEI ROCK THE FUTURE 2003~2004 DOBERMAN TOUR」に参加。

2004年

3月9日、”GROOVE SYNDICATE”名義でデヴィッド・ボウイ武道館公演のサポートを務める。

2005年~現在

ソロ活動、数々のミュージシャンとステージに立ち、現在に至る。

1980年

織田哲郎&9th IMAGEにベーシストとして参加。
9月5日、シングル「スパーキング・ラヴ -胸につのる想い-」リリース(キャニオン)
9月21日、アルバム「DAY and NIGHT」リリース(キャニオン)

1981年

BOΦWYのベーシストとしてライブ活動を開始

1982年

1stアルバム「モラル」(ビクター インビテーション レーベル)を発売。

1983年

2ndアルバム「インスタント・ラブ」(徳間ジャパン)を発売。

1985年

レコーディングの為西ベルリンへ 3月にロンドンのマーキークラブでのライブで成功をおさめ帰国。その後、東芝EMI移籍第一弾 3rdアルバム「BOφWY」を引っ提げ全国ツアーを展開。

1986年

3月 4thアルバム「JUST A HERO」を発売。11月、5thアルバム「BEAT EMOTION」は チャート紙の初登場1位を記録。 全国大ホールでのライブの成功とBOφWYは名実とともに NO.1ロックバンドの地位を確立。

1987年

最後のオリジナルアルバム「PSYCHOPATH」を発売。80万枚という記録を残すが、12月24日ツアー最終日に解散を発表。

1988年

4月4日、5日、東京ドームにてLAST GIGを行い、11万人を動員する。
8月、山下久美子のコンサートツアーに参加。
10月、布袋寅泰の「GUITARHYTHM」ライブに参加する。
11月、松井ソロプロジェクトをスタート。ベルギーのベルカントのボーカリスト アネリー・マリアン・ドレッカーをフィーチャーしてアルバムを制作。

1989年

10月25日、佐久間正英プロデュースによる1stアルバム「よろこびのうた」発売。同時にヨーロッパ各地でも注目を浴び、 11月15日、クラムド・ディスクからベルギー、オランダ、ルクセンブルク、フランスで発売される。

1990年

6月、花田裕之のコンサートツアーに参加。
7月より2ndアルバムのプロジェクトをスタートさせる。

1991年

8月30日、2ndアルバム「SONG OF JOY’」発売。
Co-プロデューサーにマドンナ等のエンジニアとして知られるGOH HOTODA氏を迎え制作。

1992年

10月22日、3rdアルバム「月下氷人」発売。
初の松井自身のボーカルを中心とし、より確立された松井ワールドを展開。またジャケットヴィジュアルに横尾忠則氏を迎える。

1993年

10月20日、4thアルバム「あの頃僕らは」発売。プロデューサーに藤井丈司、作詞に山下久美子、森雪之丞ほか、ギターに布袋寅泰など多数のゲストを迎え制作。
松井常松、初のソロライブ「Delirious moon」 を名古屋クラブダイヤモンド、大阪厚生年金会館、さらにあの12月24日BOφWY以来のステージになる渋谷公会堂にてフロントに立つ。
12月20日ソニーマガジンズより、初の単行本「あの頃僕らは」を出版。

1994年

10月19日、5thアルバム「GLACIER」を発売。
再びプロデューサーに藤井丈司を迎え、 布袋寅泰、ホッピー神山等のゲストが集結しレコーディング。
9月26日発売、氷室京介のアルバム「SHAKE THE FAKE」のレコーディングに参加。
12月、TOUR「GLACIER」を東京、大阪、名古屋にて行う。

1995年

10月18日「DEEP SKY」発売。プロデューサーに小原礼を迎え、コンピュータープログラマーにBOφWY以来となる松武秀樹、高橋幸宏、布袋寅泰、山本恭司等多彩なゲストを迎えキャリアそしてテクノロジーを駆使したコンセプトアルバム完成。
11月よりクラブサーキットによる全国ツアー「 BLACK AND WHITE」を行う。

1996年

9月4日、尾崎亜美の書き下ろしによるマキシシングル「SHADOW OF THEMOON」発売。
10月9日、アルバム「HEAVEN」発売。小原礼とのコラボレイトによる二枚目の作品。
10月12日、「TOUR 1996 DNA」がスタート。全国7ケ所を回る。
11月、REMIXアルバム発売。

1997年

IRc2 スタジオにて初のセルフプロデュースによるアルバムのレコーディングをスタートする。

1998年

5月27日、ソロプロジェクトがスタートし10年、BOΦWYをリスペクトし、よりオリジナルなスタイル、ビート、ヴォイスを表現した待望のニューアルバム「Bye Bye EXTREMER」を発売。
作詞では松井五郎との初のコラボレイト、バグルスの名曲「ラジオスターの悲劇」のカバーも収録。
JILL(PERSONZ)吉川晃司等もゲスト参加。久し振りのツアーも6月に行われた。

2002年

布袋寅泰「HOTEI ROCK THE FUTURE 2002 “SCORPIO RISING TOUR”」に参加。

2003年

布袋寅泰「DOBERMAN TOUR」に参加。
9月25日、布袋寅泰プロデュースによるソロプロジェクト”GROOVE SYNDICATE”名義によるアルバム「1」をリリース。メンバーは、松井、布袋のほか、岸利至、オオエタツヤ(OE/Captain Funk)
布袋寅泰「HOTEI ROCK THE FUTURE 2003~2004 DOBERMAN TOUR」に参加。

2004年

3月9日、”GROOVE SYNDICATE”名義でデヴィッド・ボウイ武道館公演のサポートを務める。

2005年~現在

ソロ活動、数々のミュージシャンとステージに立ち、現在に至る。

松井常松

1980年

織田哲郎&9th IMAGEにベーシストとして参加。
9月5日、シングル「スパーキング・ラヴ -胸につのる想い-」リリース(キャニオン)
9月21日、アルバム「DAY and NIGHT」リリース(キャニオン)

1981年

BOΦWYのベーシストとしてライブ活動を開始

1982年

1stアルバム「モラル」(ビクター インビテーション レーベル)を発売。

1983年

2ndアルバム「インスタント・ラブ」(徳間ジャパン)を発売。

1985年

レコーディングの為西ベルリンへ 3月にロンドンのマーキークラブでのライブで成功をおさめ帰国。その後、東芝EMI移籍第一弾 3rdアルバム「BOφWY」を引っ提げ全国ツアーを展開。

1986年

3月 4thアルバム「JUST A HERO」を発売。11月、5thアルバム「BEAT EMOTION」は チャート紙の初登場1位を記録。 全国大ホールでのライブの成功とBOφWYは名実とともに NO.1ロックバンドの地位を確立。

1987年

最後のオリジナルアルバム「PSYCHOPATH」を発売。80万枚という記録を残すが、12月24日ツアー最終日に解散を発表。

1988年

4月4日、5日、東京ドームにてLAST GIGを行い、11万人を動員する。
8月、山下久美子のコンサートツアーに参加。
10月、布袋寅泰の「GUITARHYTHM」ライブに参加する。
11月、松井ソロプロジェクトをスタート。ベルギーのベルカントのボーカリスト アネリー・マリアン・ドレッカーをフィーチャーしてアルバムを制作。

1989年

10月25日、佐久間正英プロデュースによる1stアルバム「よろこびのうた」発売。同時にヨーロッパ各地でも注目を浴び、 11月15日、クラムド・ディスクからベルギー、オランダ、ルクセンブルク、フランスで発売される。

1990年

6月、花田裕之のコンサートツアーに参加。
7月より2ndアルバムのプロジェクトをスタートさせる。

1991年

8月30日、2ndアルバム「SONG OF JOY’」発売。
Co-プロデューサーにマドンナ等のエンジニアとして知られるGOH HOTODA氏を迎え制作。

1992年

10月22日、3rdアルバム「月下氷人」発売。
初の松井自身のボーカルを中心とし、より確立された松井ワールドを展開。またジャケットヴィジュアルに横尾忠則氏を迎える。

1993年

10月20日、4thアルバム「あの頃僕らは」発売。プロデューサーに藤井丈司、作詞に山下久美子、森雪之丞ほか、ギターに布袋寅泰など多数のゲストを迎え制作。
松井常松、初のソロライブ「Delirious moon」 を名古屋クラブダイヤモンド、大阪厚生年金会館、さらにあの12月24日BOφWY以来のステージになる渋谷公会堂にてフロントに立つ。
12月20日ソニーマガジンズより、初の単行本「あの頃僕らは」を出版。

1994年

10月19日、5thアルバム「GLACIER」を発売。
再びプロデューサーに藤井丈司を迎え、 布袋寅泰、ホッピー神山等のゲストが集結しレコーディング。
9月26日発売、氷室京介のアルバム「SHAKE THE FAKE」のレコーディングに参加。
12月、TOUR「GLACIER」を東京、大阪、名古屋にて行う。

1995年

10月18日「DEEP SKY」発売。プロデューサーに小原礼を迎え、コンピュータープログラマーにBOφWY以来となる松武秀樹、高橋幸宏、布袋寅泰、山本恭司等多彩なゲストを迎えキャリアそしてテクノロジーを駆使したコンセプトアルバム完成。
11月よりクラブサーキットによる全国ツアー「 BLACK AND WHITE」を行う。

1996年

9月4日、尾崎亜美の書き下ろしによるマキシシングル「SHADOW OF THEMOON」発売。
10月9日、アルバム「HEAVEN」発売。小原礼とのコラボレイトによる二枚目の作品。
10月12日、「TOUR 1996 DNA」がスタート。全国7ケ所を回る。
11月、REMIXアルバム発売。

1997年

IRc2 スタジオにて初のセルフプロデュースによるアルバムのレコーディングをスタートする。

1998年

5月27日、ソロプロジェクトがスタートし10年、BOOWYをリスペクトし、よりオリジナルなスタイル、ビート、ヴォイスを表現した待望のニューアルバム「Bye Bye EXTREMER」を発売。
作詞では松井五郎との初のコラボレイト、バグルスの名曲「ラジオスターの悲劇」のカバーも収録。
JILL(PERSONZ)吉川晃司等もゲスト参加。久し振りのツアーも6月に行われた。

2002年

布袋寅泰「HOTEI ROCK THE FUTURE 2002 “SCORPIO RISING TOUR”」に参加。

2003年

布袋寅泰「DOBERMAN TOUR」に参加。
9月25日、布袋寅泰プロデュースによるソロプロジェクト”GROOVE SYNDICATE”名義によるアルバム「1」をリリース。メンバーは、松井、布袋のほか、岸利至、オオエタツヤ(OE/Captain Funk)
布袋寅泰「HOTEI ROCK THE FUTURE 2003~2004 DOBERMAN TOUR」に参加。

2004年

3月9日、”GROOVE SYNDICATE”名義でデヴィッド・ボウイ武道館公演のサポートを務める。

2005年~現在

ソロ活動、数々のミュージシャンとステージに立ち、現在に至る。

1980年

織田哲郎&9th IMAGEにベーシストとして参加。
9月5日、シングル「スパーキング・ラヴ -胸につのる想い-」リリース(キャニオン)
9月21日、アルバム「DAY and NIGHT」リリース(キャニオン)

1981年

BOΦWYのベーシストとしてライブ活動を開始

1982年

1stアルバム「モラル」(ビクター インビテーション レーベル)を発売。

1983年

2ndアルバム「インスタント・ラブ」(徳間ジャパン)を発売。

1985年

レコーディングの為西ベルリンへ 3月にロンドンのマーキークラブでのライブで成功をおさめ帰国。その後、東芝EMI移籍第一弾 3rdアルバム「BOφWY」を引っ提げ全国ツアーを展開。

1986年

3月 4thアルバム「JUST A HERO」を発売。11月、5thアルバム「BEAT EMOTION」は チャート紙の初登場1位を記録。 全国大ホールでのライブの成功とBOφWYは名実とともに NO.1ロックバンドの地位を確立。

1987年

最後のオリジナルアルバム「PSYCHOPATH」を発売。80万枚という記録を残すが、12月24日ツアー最終日に解散を発表。

1988年

4月4日、5日、東京ドームにてLAST GIGを行い、11万人を動員する。
8月、山下久美子のコンサートツアーに参加。
10月、布袋寅泰の「GUITARHYTHM」ライブに参加する。
11月、松井ソロプロジェクトをスタート。ベルギーのベルカントのボーカリスト アネリー・マリアン・ドレッカーをフィーチャーしてアルバムを制作。

1989年

10月25日、佐久間正英プロデュースによる1stアルバム「よろこびのうた」発売。同時にヨーロッパ各地でも注目を浴び、 11月15日、クラムド・ディスクからベルギー、オランダ、ルクセンブルク、フランスで発売される。

1990年

6月、花田裕之のコンサートツアーに参加。
7月より2ndアルバムのプロジェクトをスタートさせる。

1991年

8月30日、2ndアルバム「SONG OF JOY’」発売。
Co-プロデューサーにマドンナ等のエンジニアとして知られるGOH HOTODA氏を迎え制作。

1992年

10月22日、3rdアルバム「月下氷人」発売。
初の松井自身のボーカルを中心とし、より確立された松井ワールドを展開。またジャケットヴィジュアルに横尾忠則氏を迎える。

1993年

10月20日、4thアルバム「あの頃僕らは」発売。プロデューサーに藤井丈司、作詞に山下久美子、森雪之丞ほか、ギターに布袋寅泰など多数のゲストを迎え制作。
松井常松、初のソロライブ「Delirious moon」 を名古屋クラブダイヤモンド、大阪厚生年金会館、さらにあの12月24日BOφWY以来のステージになる渋谷公会堂にてフロントに立つ。
12月20日ソニーマガジンズより、初の単行本「あの頃僕らは」を出版。

1994年

10月19日、5thアルバム「GLACIER」を発売。
再びプロデューサーに藤井丈司を迎え、 布袋寅泰、ホッピー神山等のゲストが集結しレコーディング。
9月26日発売、氷室京介のアルバム「SHAKE THE FAKE」のレコーディングに参加。
12月、TOUR「GLACIER」を東京、大阪、名古屋にて行う。

1995年

10月18日「DEEP SKY」発売。プロデューサーに小原礼を迎え、コンピュータープログラマーにBOφWY以来となる松武秀樹、高橋幸宏、布袋寅泰、山本恭司等多彩なゲストを迎えキャリアそしてテクノロジーを駆使したコンセプトアルバム完成。
11月よりクラブサーキットによる全国ツアー「 BLACK AND WHITE」を行う。

1996年

9月4日、尾崎亜美の書き下ろしによるマキシシングル「SHADOW OF THEMOON」発売。
10月9日、アルバム「HEAVEN」発売。小原礼とのコラボレイトによる二枚目の作品。
10月12日、「TOUR 1996 DNA」がスタート。全国7ケ所を回る。
11月、REMIXアルバム発売。

1997年

IRc2 スタジオにて初のセルフプロデュースによるアルバムのレコーディングをスタートする。

1998年

5月27日、ソロプロジェクトがスタートし10年、BOΦWYをリスペクトし、よりオリジナルなスタイル、ビート、ヴォイスを表現した待望のニューアルバム「Bye Bye EXTREMER」を発売。
作詞では松井五郎との初のコラボレイト、バグルスの名曲「ラジオスターの悲劇」のカバーも収録。
JILL(PERSONZ)吉川晃司等もゲスト参加。久し振りのツアーも6月に行われた。

2002年

布袋寅泰「HOTEI ROCK THE FUTURE 2002 “SCORPIO RISING TOUR”」に参加。

2003年

布袋寅泰「DOBERMAN TOUR」に参加。
9月25日、布袋寅泰プロデュースによるソロプロジェクト”GROOVE SYNDICATE”名義によるアルバム「1」をリリース。メンバーは、松井、布袋のほか、岸利至、オオエタツヤ(OE/Captain Funk)
布袋寅泰「HOTEI ROCK THE FUTURE 2003~2004 DOBERMAN TOUR」に参加。

2004年

3月9日、”GROOVE SYNDICATE”名義でデヴィッド・ボウイ武道館公演のサポートを務める。

2005年~現在

ソロ活動、数々のミュージシャンとステージに立ち、現在に至る。